頤和園導遊詞

2021-03-14 04:58:10 字數 4190 閱讀 9013

頤和園名前:  クラス

空港からホテルまで

ようこそ北京

長い空の旅で、さぞお疲

はじめまして、今度皆様のお世話北京旅行社のごえんえんと申します。伍は隊伍の伍で、媛はひめとも発音できます。皆様と出會一種の縁です。

こちらは運転手の王さんです。私どもが今回の皆さんの北京観光中のお供願いいたします。

中國の古い言葉に「友あり遠方より來る、また楽今日は遙遙日本皆様をお迎えできまして、誠に嬉しく思っておりますが、皆様もどうぞご自宅にお帰楽しくゆっくり北京滯在をお楽

北京國際空港を後にして市內へと向かいます。今回皆様お泊北京の西側に位置しており、到著まで約45分かかるでしょう。皆様はホテルでゆっくり休んでいただきたら、午後頤和園の観光にまいります。

頤和園は北京の西北部の郊外にあり、市內中心部の天安門から約20キロ離れています。頤和園は萬壽山と昆明湖からなっており、面積は290ヘクタールで、その広さは約故宮の4倍です。昆明湖は総面積の4分の3をしめ、殘りの4分の1は萬壽山や綠地と建築物とで佔められております。

2023年11月30日にユネスコから認定を受け、世界文化遺產となりました。

頤和園は2023年遼、金時代に皇帝の保養地として造られ、金山と金山泊と呼ばれていました。元の時代になってから甕山と甕山泊と名づけられました。明代初期に西湖と改名され、そして園內に園靜寺が建てられました。

2023年に清の乾隆帝は母親の誕生日を祝うために、甕山を萬壽山と改め、甕山泊を昆明湖と名づけ、公園は清漪園と呼ぶようにしました。清漪園は2023年に北京に侵入してきた英仏連合軍によってひどく破壊されました。2023年に清の西太后は清漪園を修築し、その名を頤和園と改名しました。

しかし、2023年、8國連合軍の手によって再び破壊されました。現在の頤和園は2023年修復當時の狀態とほぼ同じです。

頤和園は中國の南北の造園芸術を一つにまとめ、南の造園芸術の繊細さと北の造園規模の雄大中國造園芸術の傑作とも言えます。そのほかに頤和園は儒教、仏教と道教の文化を入れて、儒、仏、道教の思想を結びつけて作った皇族庭園で、天下を支配するという帝政思想を表したものと言われております。

先の頤和園の概況は以上ですが、次は頤和園のほうがご案內いたします。

これは東宮門です。東宮門は頤和園の東向きの正門です。真正面の頤和園の3文字は光緒皇帝の親筆です。

頤は精神を休養させ、和は気分を安らかにまた穏やかにするという意味を含んでいます。皆様も頤和園の観光によって、心身を休ませ、健康を保ち、活力を養

東宮門から入見學コースをご案內いたします。まず仁壽殿で、次は徳和園、後は楽壽堂、次は長廊、山の上に排雲殿、知恵海、仏香閣行って、石舫で、如意門から出ます。

その後は仁壽殿です。仁壽殿は皇帝が大臣たちを召集し、政務を執り行う正殿です。同治帝、光緒帝の時に、西太后はここで垂廉聴政をも行ったところです。

乾隆5年に建てられ、もともと勤政殿と呼ばれていましたが、2023年に立て直されたもので、その時から仁壽殿を改名されました。仁壽とは孔子の論語から引用されたもので、仁政を施すものは長生きできると言う意味です。

仁壽殿の前においてある怪獣は狻猊と呼ばれる想像上の動物で、四不像とも呼ばれています。

その後は徳和園です。徳和2つの文字は左伝から引用されたものです。徳とは道徳の意味で、和は気持ちが穏徳和園の大戱樓は清の時代の3つの大舞台の1つで、その中の一番大きいものです。

この舞台は西太后が観劇した場所で、高さは21メートル、幅は17メートルあります。

次は楽壽堂です。楽壽という2つの文字は孔子の論語を引用したもので、楽壽堂とは智者と仁者の堂の意味です。楽壽堂は西太后が日常生活乾隆年間に乾隆帝の母親がここで生活光緒年間は西太后がここで住んでいたそうです。

清漪園の建立時には、2階建ての建物でしたが、再建された時からは現在のように平屋式になりました。

殿內の西の內室は西太后の寢室です。西の外室は西太后が書類に目を通し、指示を與えたりして、決裁をする所で、政務を行うでもありました。東の內室は西太后が著替東の外室は西太后が朝食を取ったり、お茶を飲んだりしたのに使われていました。

楽壽堂の中に西太后の生前に使われていた品物や珍しい寶物がたくさん陳列電燈です。こらは2023年にドイツから輸入された中國最初の電燈の一つです。北京で最初に電燈を使った所は故宮です。

次は青い花模様つきの磁器大皿があります。この大皿は果物を載せる皿で、これらの果物は食見ることと香りを嗅9つの桃の模様がついた金メッキの香爐があります。桃は中國においては、長壽を意味します。

楽壽堂の前に青芝岫が置かれています。乾隆帝が北京の南北部にある房山區良郷という所から、石をここへ運んできて、楽壽堂の照壁として使いました。照壁とは正面玄関の目隠し用の壁のことです。

この石は霊芝の形をした青色の石なので、青芝岫と名づけられました。言い伝えによりますと、明の萬暦時代、官吏公尺萬鍾という人は変わった石がとても好きで、この石に目をつけ、手に入れようとして、大金を払い100人の労働力、馬車一台と四十頭の馬を使って運搬を始めました。しかし、7日間かかって山から出て、その後の5日間で良郷という所まで運んだのですが、餘りに金途中で置き放石は道楽石と呼ばれていました。

100年過ぎてから、清の時代の乾隆帝が南へ巡行した帰りに、この石を見つけ、大変気に入り、都まで運銅製の鹿、鶴、花瓶が対になって置鹿、鶴、花瓶という漢字の発音

すぐ行って、これは長廊です。長廊は東の入り口である邀月門から西の石丈亭までの長さが728メートル、柱の間の數は273もあり、中國における一番長い廊下です。廊下の桁、檁、梁の上に、彩色畫が大小あわせて1、4萬枚飾られており、同じものは1枚もありません。

西湖の景色を表す絵だけで、546枚もあります。山水畫のほかに、有名な古典小說の物語、例えば、西遊記、三國演義、紅樓夢、封神演義など描中國の遠古時代の3皇5帝から最後の封建王朝までの2023年にわたる代表的な人物、物語を表畫廊とも呼ばれており、2023年に長廊は世界記錄大全に世界最大の畫廊として登入されました。

廊下を通って、萬壽山を見えます。山の上に排雲殿、仏香閣、知恵海山の真正面ですから、寫真のいいところです。撮りたい方は、どうぞ、お取りください。

この建物は排雲殿と言います。排雲殿を中心とする排雲殿建築群は誕生祝いを執り行う所です。排雲殿は大報恩延壽寺の大雄寶殿の遺跡の上に建てられたもので、西太后の誕生を祝い、官吏たちから祝賀をうけた所です。

石段を登ってこられ、本當にお疲れ様でした。さて、今著いたところが萬壽山の頂上にある仏香閣です。仏香閣、眾香界と知恵海は、乾隆帝時代の萬壽山前山の大報恩延壽寺の1部分でした。

仏香閣は頤和園の中に代表的な建築物で、乾隆23年(2023年)に建てられ、光緒低17年(2023年)に78萬両の銀を使って、再建されたものです。3階建ての仏香閣は木造の8角形で、屋根は4重で、瑠璃瓦が使われています。どの方向から眺めても同じように見える仏香閣は高さ41メートルで、鉄梨木の柱で支えられ、建物の勢いが4方に広がっている構造となっています。

中には5メートル以上の高さの金メッキの仏像があります。

仏香閣から更に上に進むと、智恵海という建物に著きます。智恵とは如來菩薩の「智恵は海のごとく、仏法は底無し」という意味で、智恵海は萬壽山では一番高いところで、乾隆帝時代に建てられたものです。瑠璃瓦と石材で造った2階建ての無梁柱です。

無樑は無量と同じ発音で、音を取って仏様の智恵は盡意味も含めています。殿壁には1008本の小さな仏像があります。

最後は清晏舫です。中國東漢時代、有名な文學者であり、科學者であった張衡という人の「夫水能以載舟、亦能以覆舟」と名句があります。人民を水に喩え、朝廷は船に例人民は良い皇帝を擁護同じ人民が悪い朝廷を覆意味であります。

清の乾隆帝はこの言葉をよく知っており、この石で船を作ることによって、自分を勵ますと同時に、清の支配はこの石舫のような磐石になって、覆すことができないを宣言したのです。乾隆時代のこの石舫は完全な中國式の建物でしたが、光緒帝時代になってから、西洋式に改築されました。

ここまで、頤和園の紹介は以上です。

空港のお見送り

全員発ちなりますが。準備何かお忘れ物一度御確認くださいませ。

では、発車します

月日の立つのは本當に早いものです。皆様と一緒に過ごした二日間はあっという間にすぎたように感別れですね。今回皆様をご案內できてとても嬉しく存じます。

この二日間、皆様にご支援、ご協力大変感謝いたしております。

さて、空港まで後45分ほどですが、北京についてもっとお知尋ねください。

まもなく空港に著きます。皆様の北京での旅行もいよいよ終わりです。今回時間の都合で、頤和園しか観光実は北京はとても広くて、見所越しください。

私どもも皆様との北京での再會を心待皆様のご旅行祈りいたします。

では、バスをお降りの際、お忘れ物のないように、ご注意下さい。

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